新しいBerryz工房はじまる②~でっかい工房はじめますの夢想~

(前投稿「新しいBerryz工房はじまる~株式会社ベリーズ工房という夢想~」の続き)

さて日本武道館で、Berryz工房は無期限活動停止を迎えたわけですが、かつて同じ場所でラストライブを行いながら後に東京ドームで復活して、「え、解散なんて言ってないけど」とニヤリとしていたグループを思い出すに、Berryz工房はどうだろうかと思い巡らしてしまいます。全くもってこの世の中、何が起きるかわかりませんからね。

ところで、メンバーは会社にはそのまま在籍するようです。するとBerryz工房という枠組みだけがなくなった、ことになります。とにかく在籍続けることはよかったです。少なくとも受けるべきものはしっかり受けるべきですから(かつて株式上場前にそれを知りながら、別会社のスタートのため諸権利を放棄した人が、それを熱心に賛成します)。
(初ソロイベントにて)
「緊張します・・・大分」
ただ無期限活動停止発表から続くファンの素朴な疑問「Berryz工房は残したままで、個々に休んだり、やりたいことはできないのかな・・・」に対しては結局、あの8月2日から最後のフォトブックまで、メンバー発信だけでした。高いプロ意識を持つ12年選手とその内容のギャップは、さすが嗣永さんが「わがままと思われちゃって」と、受け取られ方を客観的に把握していたとおりです。

あの全員が足がガクガク震えたという8月2日の発表から最後まで、ファンの温かい反応だけではなく、おもしろおかしく捉えた心無い反応までの全てを、メンバーだけが表に立って受け止めたのは、11年間の中でも最大の仕事といってもいい、もっと賞賛されてもいいものです。

なぜなら11年も続いたロングセラー商品です。なぜ残さないのかを丁寧に説明するのは、顧客に対して普通の会社なら当然。ただ始まりがそうなら終わりも、本来は然るべき人が代わりに前に出るべきでしょう。少なくとも姿を現して最終的な説明責任の処を示せば、最後の半年メンバーはその肩の荷を大分軽くできたしょうし、時に強くふるまう必要もなかったでしょう。

・・・でもそうですね。メンバー発信の一点突破で、それだけでファンの想いを昇華させるのがベストかもしれませんね。あとは時間が癒してくれるはずですから。

(初ソロイベントにて)
「(顔がこわばりながらも)緊張ですか~あんまり。うふふ」
まこと「さすがですね」
前投稿にも書きましたが、Berryz工房は会社の資産であり、バックオフィスを含むと常時多くの人が関わるプロジェクトでした。単なる気の合う仲間が集まったものではないのです。メンバーが夢の一つとしていたベリーズ国訪問も、単なる遊びに行くことを言っていたのではなく(プライベートで世界中どこでも行けるでしょう)、ツアーなり撮影なり、ビジネスとして成立することを前提に言っていたわけです。

そもそも「集会・結社の自由」を享受すれば、誰もが自由にグループという枠組みで、継続的に集まり、経済的活動できます。ライブしてベリーズ国に撮影に行って、あるときはソロでモデルして、女優して、勉強して、そして休養することができるのです。

ここに再開の可能性を考える上でのポイントがあります。言い換えるならば、Berryz工房の枠組みはそれができないものだと。

(初ソロイベントにて)
「緊張感が半分あります」
まこと「あ、半分だけですか?」
「もっとあります。落ちついていこうとおもいます」
Berryz工房をくるくる回るコマとしてみれば、毎年3枚のシングル、ライブ、ツアー1~2回、ハロコンなど膨大な仕事を回してきました。ここから自由度を上げるためにと、例えばシングルやライブを減らした場合、そのコマは軽くなるかといえば、変わらない、逆に重たくなるはずです。

PM(あのPMではももちろんありません)をしたことがある人は理解がしやすいかもしれません。重なり合う中長期の工程(そもそもこういうスケジュールを立てないのがマネジメントの役割ですが)の1つ2つを削除しても、その分が浮くわけではありません。それだけではなく長期継続契約のものは見直しが入り、減らしたのにコストが増えてしまいます。

つまり経済的には回し続けるのが一番よいことになります。繰り返しにビジネスが最適化され、そうではないものは回転するコマが弾くように、受け入れなくなります。これは回すこと自体が目的に堕ちていない限り、ストックビジネスとして最高です。

以前会社で不定期にホール規模のイベントをしていたのですが、集客の心配と開催の疲労のあとに残ったのが大量の建具や部材、そしてよく訓練された外注スタッフ。定期的にこんなイベントをやれば再利用できコストも下げられるのに、そうでないのならしょうがない。いったんクローズして関連リソースを開放、他に割り当てるしかない。
(初ソロイベントにて)
「まことさんフォローしてくださいね」
まこと「僕にできるかな~」
あと忘れてはいけないのは我々ファンの存在。Berryz工房としての活動を減らしたときに、このコマの回る中で一緒に楽しみ、期待している我々に、今までと同じものは提供できなくなる。そのことを、プロ意識の高いメンバーは当然考慮したはずです。これは「こんなに素敵な空間を守ることができなくて本当にごめんなさい」と武道館で聞きながら改めて思わされたのでした。

今回の活動停止は他にもある複雑な要素を、現況に鑑みた上でのプロとしての決断であったと、しっかり理解したいです。「文句一つ言わずに愛してくれる」ファンを信じて、メンバー発信のみというかたち故に「わがまま」と捉えられてしまう余地を、最後まで許容したのです。


(初ソロイベントにて)
「はい・・・もうすごい緊張しますね」
さて私の関心はこの後です。はっきりしたのは残念ながら、停止前のBerryz工房の枠組みでは再開できない。しても一夜限り、短期間になるということです。このことを考えるに2013年をおもいだします。

前投稿の最初のアップはその年の終わりでしたが、思い始めたきっかけは9月頃からのラジオやイベントでメンバーのトーク。「あ、これはまずいぞ」、打開策はないかと勝手に思い始めたのでした。

会社である日やってくる、社員や同僚からの「ちょっとお話が」で空気の色が変わる瞬間。その原因が一時的な疲労や感情的なものではなく、継続的構造的なものに起因するものだと注意しますが、それがトークの端々にありました。

当時を振り返ってみると、(その試みに意味があった)千奈美Twitterアカウントの廃止やおぱょ封印、クールハローという不明瞭さの中、ハロコン、ニューシングルPR、ゲキハロが重なり激務。メンバー体調不良、怪我もありました。さらに前年度から言っていた10年目だからこその目標(例えば47都道府県訪問)などが、スケジュール的に実現できないことがはっきりしました。

マネージャがまたまた変わった。公式の告知が機能していない。メンバーもネットから自分達のスケジュールを仕入れる始末。このあたりは悲しいかな、それ以前と変わらないですが、目立つことが多くなったのは気になりました。

また別ユニットとの仕事が後半を占め、デビュー時は逆の立場でしたが、全体の中での立場、先輩という役割が求められるようになりました。一般的に考えると、ここはよほどうまくマネジメントしないと、後輩というファンタジーな位置づけをしたとはいえ、しょせん競合ユニット(ビジネス)に他ならず、方向性に疑問が生じて、モチベーションが下がる要素でしかないとおもっています。これは当人たちが本気であればあるほどそうなります。

普通の会社でもトップの変更や取引先との関係、要望で、往々として類似製品、サービスを扱うことがあるわけですが、これほどの横断的なことをすれば普通は、メンバーがこれを聞いたときの感想「(若い子に流す)会社の作戦かとおもった」その程度では済まないことがおきます。

個人的には新卒で入った会社の4ヶ月目にはじめて遭遇、ある部門が出ていきました。そこにいた、学生時代から雑誌等で見聞きしていたスタッフたちを惜しみつつも、結果として会社は数年後を見据えた体制に、リソースを大胆にシフトしていったわけです。それでもEXIT(その時は株式公開の形)まではさらに5年かかりました。ちなみにそのスタッフ達とはのちのち再会したのですが、当時の大人の事情はもう笑いながら語りあえる時間がたっていました。


さて当時メンバーが「毎日泣いて舞台稽古向かってます」「逃げ出してやろうとおもった」と聞かされると、単なるエピソードトークを超えて「ちゃんとマネジメントやれ!」と憤慨したわけですが、「まずいぞ」とおもったのはそこではありません(もちろん泣きながら学校や会社へ行く、そしてそこに終わりが見えないという状態に、一体誰が耐えられるでしょうか)。

メンバーが大人になったためか、プロすぎる故か、ハロプロ、アイドルビジネスの枠で、できることできないことを割り切りはじめたという点です。突飛さがなくなって、11月の日本武道館が合言葉のように目標となり、それ以降はどうなってしまうのかと不安がありました。

せっかくアイドルグループという枠を超えつつあったのに、ハロプロとはこういうものだ、Berryz工房はアイドルだからと。こうなると普通の会社員と同じく、もうあとは区切りがないとがんばれない、区切りが視界に入ることで逆にがんばれる状態になってしまいます。

「わたしたち大人ですから」「プロですから」「もう○○才だね」という発言に、それまでのおかしみとは違う空気を感じた2013年でした。本来、こういうときにこそ必要なのが、強いシニアマネジメントでありプロデュースでした。

(初ソロイベントにて)
「もうやばいです。緊張が口から出そうです」
さて無期限活動停止に入りました。兵士にとって前線からのリトリートは絶対に必要で、一部の会社や軍隊では強制ルール化されているほどです。今後のために無理をしてでも休んでほしいです。

発表されている情報によれば、今後ソロでの活動があるようですが、やっぱり7人での再開をしてほしいですよね。「また見たいな」はもちろんですが、チームでの活動には強さと柔軟性があるので、商業的な意味が多分になってしまう、期間限定とか一夜限りで終わらない、多様で継続的な活動が、チームでは期待できます。

ただ同じコマに戻ることはもうできないのも事実でしょう。現在は別々のコマに乗り換えたというところでしょうが、他人が回すコマでは、またいつか合わなくなるものです(経験者談、目撃者多数)。そもそも普通12年ものキャリアを持てば、自身でコマを回したくなるものです。そしてそれは、まわりの大人が後押しすべきものでしょう(わたしがこんな夢想をするのも、過去にそのように押してくれた無私の方々がいて、成功、失敗もありましたが等しく感謝しているからです)

以前社員数10万を超える会社から、その親会社主導のスピンアウトを受け入れたことがあります。その規模なら変ないろんな人がいるだろうに。とにかく優秀なのにその会社に合わない個性派集団、ということで期待していたのですが、私服、勤務時間フリーにしても、どこかスーツを着ているかのような印象が抜けなかったのを覚えています。長くいればいるほど、そのお作法や考え方を捨てることは難しいものです。

(初ソロイベントにて)
「緊張するんですけど、がんばります」
(改めましてこの投稿は夢想にすぎません)もし7人が自分たちだけで工房をはじます!という夢をみるなら、メンバーの意識もそうですが、自由度を前提とするならとにかくコンパクトで機動力、そしてビジネスモデルも逆転に近いぐらい変わる必要があるはずです。例えば、これまで500人の一意のファンから、年にそれぞれ20万円の粗利を収益の基盤の一つとして見込んでいたのなら、延べ20万人から500円を得る、というビジネスへの転換です。

そこから逆算で戦術を考えると、最初から世界を相手にするしくみが必然となるでしょう。そして人や場所代、在庫管理、物理的地理的距離に伴ってコストが発生する「現場」「グッズ」ビジネスは、新しいしくみができるまでは、大幅な縮小か別の形態になるのかもしれません。この楽しい味を知っているファンは、痛みを覚えることかもしれません。(とはいえ世の中には、昔ラスベガスで体験したのですが、横浜アリーナの250倍以上の広さの屋内イベントを、ずっと規模の小さい1社があえてネットを使わずに電話と郵便だけでやってしまう、航空券、宿泊込みで世界中から集客してしまう、そういう兵站級のしくみはあるでしょうが)

つまりベリオタもある種の覚悟がいるかもしれません。もし7人グループの枠組みで、かつ単発ではない継続的な再開を期待するのなら、その時にはもう、かつてアイドルグループというジャンルではないでしょう恋愛や結婚への不文律はない、それこそグループ名が変わるぐらいの新しい変化を、受け入れていくことになるでしょう。変わらないことではなく、変わっていく自然なことを魅せるようになるからです。

今回のタイミングは、ビジネスのしくみだけではなく、大方のファンにとってもこのような変化は、今は受け入れられないだろう、という判断故だったのかもしれません。しかしその変化は「Berryz工房とは何か」、「一体我々はいままでBerryz工房の何を楽しんできたのか」が精錬され純化される過程ともおもいます。あとはそれをどういう形でビジネスにするか。そして、そもそも成り立つのか。

その上でもし活動停止前に夢としていた、47都道府県、SSA帰還、東京ドーム、世界一周、そしてベリーズ国訪問の夢を、はたまた洋服屋か雑貨屋なんとかトレーナーなどなどを笑いながら実現していくなら、それは7人が自分たちの工房の中で、こつこつ仮説検証を繰り返して形作るもの。

それはもうかつてのアイドル、ハロプロ、Berryz工房というしくみではなく、平成の松田聖子ならぬ”○○工房”という新しいジャンルで呼ばれ、開拓者として真似されていく・・・と、冒頭のグループが去年行った、長年の関係だからこそのリラックス感溢れるライブ映像を手元に置きながら、もうラジオ投稿ネタを考える楽しみもなくできた閑暇に夢想。

再び彼は、一人の人間を造るだろう。
彼に祈る一人の小さな息子
その笑いと仕草と七つの道具とに
創造主は、楽しみを賭ける。
その指は嬉しげに意のままに粘土を捏ねる。
彼は喜びながら、形を作るのだ。

作:ヘッセ 「暇な思想」より